もしお金があったら

おはよう、今日は突発的に休みになったので記事が書ける。

もし僕にお金があったら、だいたい直感的には10億円ほどかな。

まず都内の中央線沿いに土地尽き一戸建てを購入する、上京して十年以上なるけど肌感覚として中央線沿いは本当に住みやすく感じる。それにこれでホームレスになる心配はない。

残ったお金で子どもを作りたい、結婚ではなく子どもの方だ。

容姿と知能を伴った優秀な卵子代理母を手配している信用の出来る代理人を探さなければいけないだろう。法律的なことも考えればこの手の分野の弁護士も探さないと。

このことを年上の女性の友人に話したら「まるで商品じゃないですか」と少し悲しげに言われた。

それは実にその通りなんだけど、そうでもしなきゃ子どもを持てそうににないんだよね。

おそらく僕はお金があっても結婚は出来ないだろう、自分には社会に表示されている結婚相手の条件を満たしてはいない。今でも金なし学なし女なしである。異性としての魅力が乏しいのは重々承知である。

金の条件を満たして結婚できたところで結婚生活の打算と欺瞞の割合が高くなるだけだろう。僕もこの年まで何とか生きてこれて思うのは人間関係において打算と欺瞞を完全排除するのは不可能だと思う。聖人君子同士の付き合いなら可能だろうけど、残念ながら僕はそうじゃないし周りに人間にもそうであってほしいとは思わない。お金というのは怖いものでうまくつかいこなせないと人間関係における打算と欺瞞の割合を急激に上げてしまう。仕事の関係であれば割り切れるけど、私的な関係においてはそうなると地獄である。

どうして僕は子どもが欲しいのだろうか?

まわりに友人たちに数年前から赤ちゃんが生まれ始めて、抱かせてくれたり遊ばせてくれたりするたびにほんのり温かい幸福感を抱いたからだ。もちろん人生のステージに上がっている友人たちに対する劣等感、人というより動物として子孫を残したいという根源的な欲求もあるだろう。

僕が子どもを欲しいと望むのは完全に僕のエゴイズムである。子どもは母も無くビジネスによって生み出されたことに激しい葛藤が生じるだろう。それによって僕は殺されるかもしれない。それでもいいかなぁと思ってしまうのだ。

まあお金があったらの、たらればの話だけどね。