アメリカ・シアトル旅行記8月31日前編
こんばんは、すぐに更新できると思ったらあっという間に10月15日だ。1ヶ月も経ってしまった。
8月31日
実家に寄って慌ただしくスーツケースに荷作りして、タクシーで駅に向かい電車に乗りやっと落ち着く。
実家から成田空港方面に向かう電車に乗るのは本当に久しぶりだ。
雨は傘が要らないぐらいの小雨だが、車窓から強い風に稲穂が揺れているのが見えた。
少しずつ自分はアメリカに行くのだと実感してゆく。
空港で旅行保険の申し込みと搭乗手続きを済ませてATMでお金を下ろすと、空港内をぶらぶらと散策。意外と散策が楽しかったのでもう少し時間の余裕を持っておきたかった。
免税店で僕は妹のお使いを果たし、双子の相方はタバコをカートンで買っていた。化粧品というのは意外に値段が高い、女の子は大変だ。
飛行機に乗り込み、出発。幼い頃から何度も乗る機会が有ったので、離陸の際でも特に感慨は無い。
席は三席で窓側が双子の相方で僕が真ん中、他の乗客が通路側である。エコノミークラスは狭いのでトイレに行く時は気を使った。
機内食は二種類あるので、こういう時は双子は便利だ。少しずつ分け合って、味を共有出来る。
まさか機内食にハーゲンダッツが出て来るとは!ANA万歳。
でもやはりエコノミークラス、どうにも寝にくい。ボーッとしながら二、三本映画を見る。
8時間ほどのフライトなので、朝食として機内食がもう一回出てくる。相方はお米の方を選び、僕はパンケーキを選んだ。
寝不足のままシアトルにやっと到着。
入国の際にパスポートの残り期限の日数が11月までと短いことが気になっていたが無事に通過、ホッとする。
僕が降り立ったシアトルタコマ国際空港は成田空港と同じ国際空港のはずなのだが、成田空港の方が綺麗に感じた。おそらく到着口だからだろう。
時差のおかげなのだが、日本を31日に出発したのにシアトルに着いたのは31日のお昼前、なんかお得な気分だ。
迎えに来てくれた父とともに空港の駐車場に向かう、ざっと見渡した限りだと日本より大きい車が多いように感じる。後編に続く
また少しづつ書いていこう
こんばんは。
9月7日にアメリカから帰って来たのに、8月31日の更新から三週間近くも間を開けてしまった。
言い訳をすると時差ボケや、パソコンが壊れてしまったことやお土産を渡す事が大半の原因で残りの半分は僕の怠惰である。
お土産を渡すのは大したことはないと自分では思っていたが、郵送する場合には必ず手紙を書いたし、相手が受け取りに来てもらえる時は酒を酌み交わした。そのことで意外と時間を取られた。まあ、とても楽しかったんだけどね。
パソコンが壊れてしまったので、今はスマホでアプリをいれて書いている。キーボードの方が慣れているんだけど。
時差ボケは二、三日ほど頭が働かずにいたなぁ。
そして大半である怠惰は言わずもがな。
そんな訳で目標の100記事にはまだまだ遠いけど、また少しづつ書いていきたい。
とりあえず近日中にアメリカ・シアトル旅行記を書ければと思う。
年を取ると自分一人で幸せになるのは難しい
夏の夕方、金宮のロックを呑みながら今このブログを書いている五時ごろというのはこんばんはでいいのか、こんにちはなのか迷うところだ。
それはさて置き、僕の体感としてそして経験としてなのだけれど、どうも人間三十路を超えると自己満足だけでは自分を幸せに出来ないようだ。
自分以外の他者の喜び、信頼、頼りにされる、必要とされること、素晴らしいと思える物を共有することがゆっくりと不可欠になってゆくと感じる。
この場合の他者とは僕にとって自分を大切にしてくれて、また自分が大切にしたいと思える人々のことなんだよね。
僕にとっては家族や友人がそれに当たるだろう。
彼らの笑顔の無い人生を生きて幸福を得ようとするのは今の僕にとってはかなり難易度が高いといえる。
人生の大なり小なりの紆余曲折というのは当然あったのだけれど、僕を信頼して子どもを抱かせてくれたり、遊ばせてくれたり、些細とは言えない手伝いで頼りにしてくれたり、僕の知識と経験に基づいた贈り物に喜んでくれたり、他にもあるけど、このこと自体は本当に僕を幸福にしてくれた。
これは立場や収入、職務内容によるというのは重々承知なのだけれど仕事や職場の人間関係では得られなかった喜びだった。
大きな意味での仕事で幸せになることは不可能でないのだろうけど、僕には無理だった。
僕にとっての仕事とは幸せに成れるかどうかは別として、生きるためにやっておいたほうが無難なことである。
僕が幸福を感じることが出来たのは仕事外の方が多かった。
もちろん仕事をきちんと誠実に行うこと、チームワークを機能させることはとても重要だけど、「結局、お金貰ってるでしょ」という事実がどうしても心に残る。決して悪いことではないけれど、お金はそこに介在してる。これは仕事とそれによって発生する人間関係のストレスに支払われているように感じるのだ。
いわゆる給料は我慢料というやつだ。
いかん、酒が過ぎてきた、まとまりがないけどここまで。
明日これを読み返して、やり直したくなるのかなぁ。
どこに行っても不安は無くならない
僕が現場の異動を求めてから半年以上が経ち、やっと現在の現場へと配置転換された。
折り合いの悪い元上司と顔を合わせなくてよいのは本当に解放感がある。
昨日から働き始めているけど、この現場は現場でここで働く人それぞれの人間関係がある。
その人間関係の中身と人々の人となりがまだ掴めないから、どうも浮いてる感じがして不安だ。
もちろん働き始めたばかりだから、すぐさまにそれらが把握できるとは思ってないけれど、把握していない状態というのは気持ちがよいものではない。
以前の現場では上司との関係は少なくとも自分にとっては冷淡なものであったが同僚との関係は決して悪くなかったと思ってる。今でも会いに行きたい人はいる。
たぶんの僕の不安の主な要素は、自分がこの現場でどのように扱われていくのか分からない事と、上司と同僚がどのような人間かまだ分からないからだろう。
折り合いの悪かった元上司とはもう会わなくてよくなったけど、人間関係がリセットされたので一から考えていかなければならない、距離を取るか、友好的に交流するか。
以前よりは不安のレベルは低いけど、不安は不安だ。
もしお金があったら
おはよう、今日は突発的に休みになったので記事が書ける。
もし僕にお金があったら、だいたい直感的には10億円ほどかな。
まず都内の中央線沿いに土地尽き一戸建てを購入する、上京して十年以上なるけど肌感覚として中央線沿いは本当に住みやすく感じる。それにこれでホームレスになる心配はない。
残ったお金で子どもを作りたい、結婚ではなく子どもの方だ。
容姿と知能を伴った優秀な卵子と代理母を手配している信用の出来る代理人を探さなければいけないだろう。法律的なことも考えればこの手の分野の弁護士も探さないと。
このことを年上の女性の友人に話したら「まるで商品じゃないですか」と少し悲しげに言われた。
それは実にその通りなんだけど、そうでもしなきゃ子どもを持てそうににないんだよね。
おそらく僕はお金があっても結婚は出来ないだろう、自分には社会に表示されている結婚相手の条件を満たしてはいない。今でも金なし学なし女なしである。異性としての魅力が乏しいのは重々承知である。
金の条件を満たして結婚できたところで結婚生活の打算と欺瞞の割合が高くなるだけだろう。僕もこの年まで何とか生きてこれて思うのは人間関係において打算と欺瞞を完全排除するのは不可能だと思う。聖人君子同士の付き合いなら可能だろうけど、残念ながら僕はそうじゃないし周りに人間にもそうであってほしいとは思わない。お金というのは怖いものでうまくつかいこなせないと人間関係における打算と欺瞞の割合を急激に上げてしまう。仕事の関係であれば割り切れるけど、私的な関係においてはそうなると地獄である。
どうして僕は子どもが欲しいのだろうか?
まわりに友人たちに数年前から赤ちゃんが生まれ始めて、抱かせてくれたり遊ばせてくれたりするたびにほんのり温かい幸福感を抱いたからだ。もちろん人生のステージに上がっている友人たちに対する劣等感、人というより動物として子孫を残したいという根源的な欲求もあるだろう。
僕が子どもを欲しいと望むのは完全に僕のエゴイズムである。子どもは母も無くビジネスによって生み出されたことに激しい葛藤が生じるだろう。それによって僕は殺されるかもしれない。それでもいいかなぁと思ってしまうのだ。
まあお金があったらの、たらればの話だけどね。
愚痴
こんばんは。
前回の更新から一週間ほど間が空いてしまった。
二三日に一回は記事を書ければと思っているのに。
夏休みの時期は現場が忙しくなるので仕方ないのかもしれない。
それでも休日が不定期になるのもいい、労働強度が上がるのもいい。
だが、今の上司と職務を遂行するための報連相をしなければならないのはストレスだ。
自分の気持ちとしてははっきりと後悔している、先月には退職するつもりだった。
最後の義理として春休み期間もやり通したから、ある一点を除けば未練は何も無かった。
今日も作業内容や確認を打ち合わせで終わればいいのに、ハラスメントに等しい無神経な物言いをしてこちらの士気を下げる、やる気をなくさせる。
他人がどう見ているかは上司のお前こそ気にするべきことだろう。お前こそ上司の立場を利用して故意に精神的苦痛を与えているとした思えん。
人の言い方を指摘する前に自分がどんな内容で話しているかちゃんと考えてはいないだろう。
早く希望した配置転換が通らないだろうか、もう奴とは働きたくない。
もう上司ではない、奴でいい。